グループ会社に異動しようとジタバタしているこの何ヶ月間で、なんだかえらい勢いで世の中の情勢が変わってきてるみたいな気がしますよ。
NTTがNGNとか最初に言ってた時は「また回線太くしますって話の何がおもしろいんだ」程度にしか思っていなかったんですけども、どうやら通信インフラ全体が変わってきちゃう様子です。
ITmedia エンタープライズ:“いいとこどり”の次世代ネットワークNGNとは?
NGN : ITpro
なんか、こういうのを眺めててもちっともピンと来なかったのですけど、自分の会社がえらい勢いで店じまいを始めているのを見てると、いよいよひとごとじゃなくなって来ましたわ。
NGN構想って、要は
・データと名の付くものは全部NTTの光ファイバー上で通信させましょう。
・回線上のプロトコルは音声だろうがデータだろうが全部TCP/IPにします。
・通信制御は全部NTTで面倒見ます。
ってことですよ。
今まではセキュリティだとか経路情報だとか、ルータでいろいろ組み合わせて設計し、構築して各地を通信させてたわけですよ。
東京の本社と大阪と名古屋と結ぶ、大阪にデータセンタがあるのでデータベースは大阪に見に行くがインターネットに出るには東京にプロキシをおいてそこから通信させる。大阪-名古屋間は直接通信させずに東京を経由する。
みたいな。
そうすると僕らはルータを各拠点におき、本社にプロキシとL3SWとFWを置き、データセンタにもL3SWを置き、それぞれセグメントを切って本社-大阪間の専用線は太くして、バックアップ回線はISDNで。みたいなことをしてたわけ。回線を選ぶにもNTTだと東西の障壁があるから安い地域網は選べない、とかそんなことも考えないといけなかった。将来的な拡張性も考えて機材や回線を選んでおかないと、その時になって全部やり直しってことにもなりかねない。
それが一挙に簡単になっちゃう。あらかじめどんな構成にするかをNTTに申込み、工事の日はNTTのケーブルの先の終端装置にLAN配線を接続すればOK。値段は安いしセキュリティは確保できるし地域障壁なんてない。
僕らネットワーク屋の出番なんて極薄ですよ。ルータもL3スイッチもセキュリティサービスも網が持ってるんで、ソリューションのしようが無いわけで。
情報処理技術試験「ネットワーク」なんてのもいずれ無駄な資格になりますよ。鉛工技術者みたいなもんでね。
それだけじゃない。
これ、携帯電話も固定電話も取り込んでしまいます。同じネットワークの上で使う端末がPCでもPDAでもソフトフォンでも携帯電話でも使える。東京で使ってた環境を出張先の名古屋で使えるわけ。うっかりするとID/PWで宿泊先のホテルでも使える。転勤しても連絡先は変わらない。
そりゃもうパーソナルな環境がユビキタスに使えるわけよ。
なんか、すまんな。堅い話で。
でも俺にとっては大変な話なわけ。
今まで、俺の会社は「回線を売ってルータをブラ下げる」のを商売にしてた。それに付加価値をつけてた。セキュリティだのセグメントだの接続性だの。でも、その回線もルータももう売れないの。
売るのはその先。お客さんがどんな業務をしたいかってことなの。
つまり今のままじゃ俺の会社は商売にならなくなっちまうの。
だからえらい勢いで店じまいをし始めてるわけ。
俺はもともと回線なんか眼中に無くて、お客さんが何をしたいのかを掘り起こして商売にしてた。だから逆にお客さんがしっかりしてないと商売にならなかった。お客さん自身が問題意識を持っていて、どんな仕事をしたいのか、どんな理想を持っているのかを明文化しないと、どんなシステムが必要でいくらかかるのかを提案できないからね。
コストがかかっても見返りがちゃんとある、っていう提案をするからお互いの商売が成り立つわけでね。
まあ、だから個人的には今まで通りの考え方で行けばいいんだろうが。
でも会社のほうはそうはいかない。回線を売ってた人ばっかりだったんだから。お客さんが「レスポンスが遅い」って言ったら何も考えずに回線の速度を上げるのを商売にしてたんだから。
会社としては、提案能力のある営業マンを育てることよりも事業を縮小することを選んだわけ。人材育成ってコストも時間もかかるからね。モチベーションの問題とか資質の問題とかあるし、優秀な人は外部に流出してしまうこともある。
まあ、リスクを取りたくないんだろう。
で、結果として俺のいる場所は無くなる。
そりゃま、割り当てられた仕事を淡々とこなしていけばいいんだろうけどね。
そういうのもつまらん話だし。
俺のいる会社は、グループも多いし回線も扱ってるから簡単には倒産したりはしないだろうが、その分だけ居心地が悪くなる。
会社がつぶれなくても働いてるこっちの方がつぶれちまう。
だから、今のうちに違う会社でさらにスキルを磨いたほうがいいだろうと思うんだよね。
なんで、もし俺と同じような立場の人がいたら、そろそろ先行きを考えといた方が良いと思うよ。ネットワークで商売するのなんかもうオシマイなんだからさ。
もっとレイヤの高いアプリケーション層とかの仕事がこれからの主業務だよ。
NGNはTVも吸収してしまうからね。
いずれ地上波デジタル放送なんてことになるとテレビ局の収益構造が様変わりしてしまって地方局で番組作成なんてやる余力なんてなくなっちまうの。
「水曜どうでしょう」とか「探偵ナイトスクープ」とかも作れなくなっちまうのよ。
いや、今人気のあるコンテンツは生き残るだろうけど、これからは無理。
映像コンテンツも音楽コンテンツもネットが大きな位置を占めるようになる。
特にお金のかけられないコンテンツはネットに流れる。深夜帯の番組から始まっていずれはゴールデンタイム以外のコンテンツはネットに行くんじゃないの。
今、PCなんて新品でも3万円で買えるんだよ。携帯電話なんか1円だ。すでに小説やポップスが携帯の世界に力を移しつつある。
CDの売り上げだけで歌手が食ってるわけじゃなくて携帯のダウンロードやレンタルショップ、カラオケからの売り上げが部分をしめているように、コンテンツ産業の産業構造自体が変わってしまうんだよ。
今、ニコニコ動画やYoutubeがめちゃくちゃ面白いもんね。
正直、俺はTVなんていらない。
一日中ニコニコかyoutube見て2ちゃんしてりゃそれでいいじゃん、って人もいるだろ。
いや、その方がTVなんかよりも面白いと思うよ、実際。
今からやるなら、コンテンツをネットに持ってくる仕事っていうのが、見込みがありそうなんだよなあ。
過渡期だから、需要がすごくすごくありそうなんだよね。
だれかやとってくれないかなあ。
けえかほうこく -2-
標題:最終選考の結果通知について
*******事務局です。
標記につきまして、下記のとおり決定しましたので、宜しくお願いします。
【最終選考の結果通知】
○ポスト番号
C-025
○会社名
*************株式会社
○募集ポスト
ネットビジネス事業本部 ***********主査
[合否結果] 不合格
[選定理由]
募集ポストに対して、より即戦力となりうる他候補者がいたため、 残念ながら今回は不合格とさせて頂きました。
今回は残念ながら希望にお応えできませんでしたが、今後も*******を継続実施していきたいと考えておりますので、次回以降も積極的なチャレンジを期待しております。
nomadさんは生きています。我々のこころの中に。
だが我々に休息の日々は無い。いずれ第二、第三の悪の組織が我々を脅かすだろう。そしてその時、我々は必ずや立ち上がるのだ。そう、愛と平和のために。
そのときまで。
さらば! また会おう、いつの日か!
しかし、その主人公が別の物語で活躍した話を聞かないのでありまして。
こうやってドロップアウトっちうのはできるのかなー。
再来年くらい、平日の昼日中に近所の公園で、僕に良く似た人が暗い眼をして鳩に餌をやっていたとしても、あなたはモノのわかった大人なのですから、目を合わせずにそっと通り過ぎてください。たのむ
けえかほおこく
全国1億8千万人のハルヒファンの皆様こんばんは。
どうやらウチの一番下の中学生のコゾウがハルヒと「らき☆すた」にドはまっているらしいです。
ついこないだ、友達から文庫本を借りて夢中になって読んでいたと思ったら、全巻まとめて買ったのを手はじめに、ついには
「限定のフィギュア付きのゲームが!」
とか抜かしてましたよ。
どうやらamazonでドえらい散財をしているもより。
ああ、こうやって父を越えていくのだなあ(深い嘆息)
ピザデブ引きこもりニートでオタの俺は、先日面接に行ってきましたよ。
俺もいよいよ世間に出ようかと思って。
-参考リンク-
nomaddaemon: そろそろ新しい仕事先を
nomaddaemon: 新しい仕事先 -考え中-
nomaddaemon: いろいろとぐるぐると
前回は門前払いでしたが、今回は「せめて面接くらいしてくれ」と応募用紙に書いたのが功を奏したのかどうなのかwww
一応面接までは行きましたがな。
応募要項に「blogやSNSを活用していること」と書いてあったので山ほど書いてやりましたわ。
コチトラ江戸時代からのネットワーカーでぃ。
県下一のローカルPC通信のsysop様だと。
世が世なればエシュロンを我が僕としいずれ世界政府を立ち上げ自ら冥王と名乗り苛烈な施政を行い民は残酷王と畏れその時国の人口は半分になりそのさまは伝説となって歌に歌われた
この俺が面接に行くのだ。自らその門を開き美しき花で飾り芳しき香油をかけた贄を捧げよ。
……
ドラネコ商会の武術講習会に行ってきました
ども。
相変わらず合気道やってます。
なんとか初段は取ったものの、やっぱりうまくはならないです。
自由技とか言われても、やっぱりサッパリ体は動かんのです。
例によってガチガチで、次の技のアイデアなんて湧いてこずに「えっとー次はー次はーあああああーあああっもうきたきたきt
となってオロオロするばっかりなのです。
んで、俺の尊敬するもうひとりの師匠、ドラネコ商会で武術講習会をやるってんで、行ってきましたよ。
ドキッ!男だらけの武術講習会300分スペシャル!
9月23日(日)
17:00~22:00(途中入退場可)
新宿スポーツセンター第一武道場
:
特にテーマはありませんが、時間が長いので、基本的な技術をかなり細かく掘り下げる予定。
:
君も、思いきってトライしよう。
レッツ・ビギン・アムウェイ!ポジティブやで!
歳若い人たちが多いドラネコ商会ですが、気の置けぬ気持ちの良い人たちばかり。
和気藹々と稽古する清清しい青年たちなのです。彼らを見ていると、やはり健全な精神は健全な肉体に宿る、これで日本も安心だ、と世俗の垢も汗と共に流され、僕まで若返ったような気になるのです。
……
MovableType4.0へ一瞬バージョンアップしました
日曜日に、1日がかりでMT4.0へバージョンアップしました。
割と簡単に自動バージョンアップが走って、うまいこと行ったように思ったのですが…
blog全体を新バージョンに再構築させるとエラーが出て止まっちゃうんですよ。
エラーメッセージを読むと、どうやらテンプレートに記載している関数のあて先が無いとかなんとか。
あちこちぐぐってみると「SCodeのプラグインを抜いてテンプレートを書き直した」とか書いてる人がいましてな。
おおそういや入れたぞ。便利に使ってる。SPAMよけに、コメント時、ランダムな数字を入力させるプラグインですがな。あれ入れたときもけっこう時間かけたっけな。
俺、メンドイんで、そういうのメモ取ってないんすよ。
どこにどんなプラグイン入れて、どこのテンプレートのどこの行を修正したか、まるっきり覚えてないん。
「そんなもん、イチからぐぐれば判っぺよー」とその時は思った。
でも、またイチからぐぐるのはメンドイのな。後でメンドイと思うか今メンドイと思うかの違いではあるが、俺はただ今現在メンドイと思ってるので過去の俺に腹が立つわけだ。この俺になんてメンドイことさせんのかと。
しかしまあ、夏休みの宿題をメンドイメンドイと後回しにしてしまいには夏休みの宿題がやりきれなくて、最終的に「先生が忘れるまで待つ」という作戦に出た俺からすると、その過去の俺に腹を立てても仕方ないわけだ。わかっててやったことじゃないかと。まあそのくらいでカンベンしてやれと。奴もアレはアレでそう悪い奴じゃないし、なかなか可愛いところもあるんだと。
俺もさすがに立派なもんで、大人の風格というか貫禄というか、無駄に怒るようなことはしない。こう、ホトケの心っつーの? 寛大な「和の精神」で赦すことにしたわけよ。「今度だけだぞ」と。
まあこれに懲りて、きっと奴も成長してくれると思う。
で、どうしたかっつーと。プラグインを入れ替えてみた。MTのバージョンアップに伴って対応するプラグインにしなくちゃなんめえ、と思って。
変わらないー
こりゃ誰かが書いてるみたいにプラグインを全部消さないとまずいのかな…
イチからSCodeプラグインの導入方法を調べて、そこの記述を全部削除しないとまずいのか…
しかし、SCodeもいくつかバージョンがあるみたいだし、どのバージョンのものが自分のblogに入ってるのか、どうやって調べるか…
さんざんぐぐってみると「MT4.0はSCodeをサポートしている」ってことがわかった。
SixApart-技術提供ブログ:CAPTCHA 認証機能も簡単設定可能に
なんだよそれー
SCodeプラグイン、とっかえひっかえやってみたのって、結局ただの勘違いの失敗ってことかよー
しかもMT4がサポートしてるヤツ、俺が嫌いなゴミまじりCAPCHAじゃんよー
結局、一度バージョンアップしたMT4.0は全部削除し、バックアップしていたMT3.34に総入れ替えをしたのだったよ。
もうちょっといろいろサポートが増えて、もう少し動作が軽くなってからバージョンアップしようかな。
もうMT4.01 Beta 2が出てきてるらしいから、もうちょっと様子見。
なわけで、俺の日曜日を返せよ!過去の俺!
生きていることと死ぬこと、殺すこと、失うこと(4)
最近は治安が悪くなってると言うよね。
僕が住んでいるそばでも世間を騒がせるようなニュースになった事件が年にいくつも起きている。むこうのトンネルで通り魔に女の人が刺されただの、近くのアパートから子供が投げ落とされただの、冤罪で痴漢にされただの。
毎日ニュースを見てれば「あの事件に僕や家族が巻き込まれたら」なんてふうに、しょっちゅう思う。
「光市母子殺人事件」だって例外じゃない。僕には家族がいるし、愛してる人を理不尽な暴力で奪われたらと思うと、震えるよ。
僕は被害者の本村さんの方にシンパシーを感じながらニュースを見ている。
まあ、「公平な視点で」なんてものを持ち出すつもりはない。
これも含めて、今までの一連のエントリは「僕はこう考え、こう行動する」っていう表明みたいなものなんだよね。
それを読んでもらって、いろいろ考えてもらえばいいし、コメントをもらえば僕もいろいろと考える。何か世間を誘導しようっていうつもりはあんまり無くて、俺の心の中のモヤモヤを整理しつつ居場所を確保しようって感じ。
……
生きていることと死ぬこと、殺すこと、失うこと(3)
僕は以前、「僕は僕なりのモラルで行動する。それは法律とは関係しない」とどこかで書いたと思うんだが、こういう考え方はあんまり一般的な考え方じゃないのかな?
どうも法律とモラルを同一視している人もいるようだ。
よくわからないのは、法律を守るかどうかというよりも、僕には理解できない/共感できない理由で誰かに怒りを向ける人たちがいるということだ。
……
生きていることと死ぬこと、殺すこと、失うこと(2)
苦い話が続くけど、すまんね。
こういう苦い話も、生きていればどこかで当たることがある。
不幸なできごとっていうのは誰にでもある話。
僕らはそれがいつか必ず起きるできごとだと「知っている」けど、そういうできごとが起きた時の気持ちの整理の方法なんて、「わかってる」人はあんまりいないみたい。
僕の友達にいくつもの戦場を経験し、何人もの子供の死体を、山ほどの悲劇を見てきたヤツがいるけど、それでもヤツが人の不幸に心をざわつかせずにいられるかっていったら、全然そんなことない。
見なかったことにする、忘れてしまうことにする、っていうのは一番手近な方法だろうけど、それでもやっぱり、そういうのはごまかしてるだけなんだろうな。「受け止めて、わかる」ってわけにはなかなかいかないよ。
こんなとき僕らは宙ぶらりんな苦い感覚を抱えたまま、右往左往するだけだ。
せめて苦い感覚をしっかり抱え込んで忘れないようにすることだけが、僕らに出来る、世界に対する誠意なんじゃないかと思う。 ああー、いや。 放り出して忘れてしまったりしたら、もっと不幸なのかな。
大切なものを失うから、この苦い感覚が生まれるんだから。後に残ったその苦い感覚を放り出してしまったら、僕らが手にしていた大切なもののカケラさえ失ってしまいそうだ。
Amazon.co.jp: 夜と霧 新版: 本: ヴィクトール・E・フランクル,池田 香代子
フランクルの「夜と霧」は読んだ?
アウシュビッツに入れられた、ユダヤ人の医者が書いた手記。
悲惨な状況を、静かな文章で綴ったロングセラー。
フランクルは日々の過酷な体験を淡々と綴っていくのだけど、毎日が死に直面している中でさえ希望やユーモアを忘れず、心理学の医者として他人がどんな行動をとるのかを観察している。
ぜひ読んでおくべき本だよ。
今、手元に無いので記憶で書くけど、こんな場面があった。
栄養失調と強制労働で、毎日数え切れないほどたくさんの囚人たちが死んでいくような中で、一日のノルマを終えてふと外を見やった仲間の一人が、赤く染まった夕焼けを見上げて「ああ、世界は美しい」と呟く。
僕はこれに深い衝撃を受けた。
世界は残酷だ。しかし、同時に美しくもある。
美と残酷さは、相反するものではない。光と影、裏と表ではない。
美も残酷さも全く同時に、ひとつの世界の中に矛盾無く存在する。
それらはマーブルのようにからみあって世界を形づくってるんだよ。
無邪気に遊ぶ子猫たちの明日には、残酷な運命が待っているかもしれない。
しかし、その残酷さと、子猫の愛らしさには、何の関連も無い。
残酷なことが待っているから、それを賭け金にして子猫たちの愛らしさが担保されているわけじゃない。
車に踏み潰され血を流している子猫の30m先では、他の兄弟たちが無心に母猫の乳を吸って喉を鳴らす。
世界は残酷だ。
そして世界は美しい。
世界はそういうふうにできているのだから、僕らはそれを受け入れられないですかね?
残酷さも美しさも、ありのままに受け入れられないですかね?
詳しくは書けないけど、僕の友人に、やはり世界の残酷さに傷ついている人がいますので、僕は心を痛めています。
パンドラの函の中に、最後に残ったものがたったひとつ、希望。
苦さをかみ締めることが、希望かもしれないですね。
相変わらずグダグダで、何を言ってるのかわかんないかもしれないですが。
このままグダグダ続きます。
生きていることと死ぬこと、殺すこと、失うこと(1)
ごぶさたしとりましたな。
何ヶ月ぶりかのエントリですけども。
この何ヶ月、身近に、こう、生き死にのイベントがいくつかありまして。
家族や親戚縁者が亡くなったわけではないのですが、ちょうど自分が弱ってるからでしょうかね、思うことが重なり、エントリをあげにくかったのですよ。
今でもまだ気がかりなことは積み残したままなのですが、それでも今、思っていることをちょこっと書いておこうと。
まあ、書き始めるのに時間がかかっている割にはまとまらず、グダグダになるだろうけど、そういうグダグダも今のカンジなんでな。
会うは別れの始めと申しますが、せつないですな。
この猫、ウチのアパートの近所に住み着いてる野良猫なんですが。
去年生まれた猫がもう子供を産みましてね。
4匹の雌猫が5+4+4+4=17匹(?)の子猫を産んだんですわ。
……
政治と暴力
先日のエントリ「エゴイストの論理 -代理出産と三宅島レース-」のコメント欄でだいくまさんから次のようなご意見をいただきました。
お返事を書いているうちに長くなったのでエントリに起こします。
nomaddaemon: エゴイストの論理 -代理出産と三宅島レース-
うーん。
民意が反映されるのが民主主義ならば、現在の日本で行われているのは一党独裁でしかないでしょう。
そして、既存のスタイルからしか主義を選べないなら、結局のところ、人間に未来は無いと思います。
民主主義ですら、不完全な過渡期的産物でしょうし(物事の正否と多数決が関係ないのは誰でもわかること)。
: (略)
:
その点で、テロルはそれ自体が社会を変革するというより、国家を私欲で誤った方向に進めようとする人間が出て来た時に、抑止力として働く意味が大きいと思います。
(略)
Posted by: だいくま | 2007年04月21日 14:05
> だいくまさん
仰りたいことは良くわかります。
民主主義というのは往々にして、最善を選ぶのではなく、平均を選ぶシステムです。
間違っていたことが明白であっても、それを修正するのは容易ではありません。
正しい手段を取るために、一刻も早く修正しなくてはならないことであっても、間に合わないことがあります。
しかし、僕には、今のところこれに代わるアイデアを持っていません。
僕が独裁者になれば僕が思ったような世界が作られるでしょうが、多分、日本の人口が半分になるほど苛烈な政策をとるでしょうし、僕が退任(か暗殺か)した後、同じような政策がとられるとは思えません。
暴力装置であっても制度の中に組み入れて運用しなくては継続できないのです。
残念ながら、どんな装置であれ、制度の中に組み込まれた時点で腐敗の可能性を内包しています。
全国民の救済を目指した科学と合議による制度を標榜する社会主義さえ、うまく運用できているところはないようです。独裁主義に堕するか、崩壊しています。
もともと、制度の腐敗を正そうとして行われた革命の結果が今の民主主義です。革命とは非合法な暴力であり、つまりはテロでした。
制度の中に組み入れられた暴力装置として、例えば労働運動なんかがあります。穏健な形の暴力を武器(!)に「闘って」いるわけです。ストライキとはサボタージュなんですから。
しかし、こうした労働組合も、結局は労働者を守るための運動ではなく、組合という組織を守るための運動に堕していきます。実際僕自身もそういう扱いを経験していますしね。
スローフード運動というのも、ホントはグローバリズムに対する非合法な暴力運動なんだけど、日本じゃ贅沢なうまいものを食べることになっちまったらしい。
結局、人というものは総じて(平均で言えば)グダグダのダメダメなのだと思います。
こんな具合に、制度を監視するための暴力装置は、さらにそれを監視するための暴力装置が必要となり、無限連鎖を生じてしまいます。
「正しい判断と暴力の能力」の資源は有限ですので、結局制度の中には取り込めきれないということになります。
僕自身は暴力というものの存在を認めます。
それは「ゲンコツで誰かをぶん殴る」あるいは「政治家を殺す」というようなプリミティブなものから「生活保護の申請書類の書き方を教えない」というような事柄まで、いろんな幅、色合いがあります。それはそこに実際に存在していて、対抗するにはやはり何らかの形での暴力を使うしかありません。
(同じ種類の暴力を使わなくても対抗はできます。「ペンは剣よりも強し」とか申しますけれど、ペンも剣も同じく暴力なんです)
しかしながら、今のところ「腐敗する暴力」に対して何か有効な手段を思いつかないので、ダメな制度であってもこれを使うしかないのかなあ、と思っています。