クレーン(3)

バイクを浜名湖に落とした俺が湖のほとりで呆然としていると、水面がぶくぶくと泡だって浜名湖の女神が現われた。
女神はどうみても年増で、ポッチャリというにはキツイ体型だった。
女神は俺に最新モデルのCBR1000RRを差し出してこう言った。
「お前が落としたのはこのCBRか?」
「いえ女神様。矢よりも疾(はや)く、風よりも軽く、美しい仕上げと紳士な振る舞いのCBRは俺のバイクではありません。俺のバイクはもっと野暮で鈍くさいです」
「しばし待て」
女神はもういちどぶくぶくと湖に潜り、やがて今度はマジェスティを抱いて現われた。
「お前が落としたのはこのマジェか?」
潮風にやけたガラガラ声はハスキーボイスというには程遠かったが、これはこれで味があると俺は思った。
「いえ女神様。快適で便利で愛される、人気のマジェスティは俺のバイクではありません。俺のバイクはもっと醜く野蛮です」
女神はめんどくさそうに小さくチッと舌打ちしてまたぶくぶくと湖に潜り、やがて今度こそ俺のハヤブサを抱いて現れた。
「お前が落としたのはこのガラクタか?」
俺を覗き込んだ女神は色黒で、森三中の黒沢に似ていた。
「そうです、そのキチガイバイクです!」
俺は飛びついた。
女神に。
いや、俺、こういうの結構イケるよ!
女神はさっと身を翻し、太い足で俺の顔面を蹴った。とっさに後ろ飛び受け身をとったが、元来ヘタクソなので見事に鼻を強打した。女神はハヤブサを放り投げると「バカじゃねーの」と毒づいてぶくぶくと湖の中に去っていった。
後にはCBRもマジェスティも姿は無く、カキ殻と泥とワカメと塩水にまみれて壊れたハヤブサと鼻血をタラした俺が横たわっていた。
……

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クレーン(2)

前回までのあらすじ
俺のブサ ターボが流れ星になって浜名湖に落ちる夢を見た。
びっくりして飛び起きたら隣に新垣結衣が寝ていたので今までのことは全て夢だったと納得した。

…はずもなく。
しばらくすると、コケた音に気づいて近所の人が出てきた。
「ああ、ここはねえ、よく落ちるんだよね。こないだもずいぶん先まで車が飛んでいって」
「遠くて深かったんでなかなか引き揚げられなくてねえ」
「このくらいならまあ簡単だよ、バイクだし」
「怪我もなくてよかったねえ」
慰めてくれる気持ちはありがたかったが、俺のブサ ターボはあわれ水の中。
「はあ、どうもお手数をおかけします」
泣く気にも笑う気にもならず、俺はただ意気消沈していた。

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クレーン(1)

さて。
そろそろ心のキズが癒えてきたので書くことにする。
が、俺のガラスのハートは思春期の処女の中学生並みである。まずはオマイラそのへんをよくよく承知した上で慈悲の心を持ってこの先を読むがいい。
いや、やっぱ読むのはヤメレ。なんだかオマイラが「そんなこと気にせず頑張って!」とかコメントするところを想像したらムカムカしてきた。
人生、まじめにライダーをやってると、2度や3度はクレーンのお世話になるもんだ。
僕は、えーと、2回くらいかな。
…いやすまん3回だった。
「普通そうだよね?」と友達に聞いたら「そんなことあるわけねえよ」と笑われた。
「せいぜいレッカーだろ」と友達は続けた。
友達が言うには「サーキットでコケて、コーナーごとにコケてる連中のバイクをユニックで荷台に乗せてさ、泥だらけになったバイクと一緒に荷台に乗って、他のコケたヤツラと目を合わせないようにしながら運ばれてくって、これはなかなかのモンだぜ」ということだ。
「ドナドナドーナード~ナ~♪」
ああ、バカの友達っていいよね。
その日、俺は久しぶりにハヤブサ ターボを受け取った。
茶臼山でコケて、サイレンサーがモゲてしまったので、ナカミチさんに直してもらったのだ。
……

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クレーン

僕は「移動式小型クレーン免許」と「玉がけ免許」を持っている。
玉がけというのはクレーンに物を吊る時などにワイヤーで固定する技術のことで、クレーン免許を取る時に一緒に取るものだ。
しがないIT(イット)営業マンの僕がなんでそんな免許を持っているかといえばそれもこれも皆バイクのためだ。
僕は当時、GSX-R750に乗っていた。そう、例の「新幹線に敗れた失意の」GSX-Rだ。
僕のテリトリーは三ケ日の農業道路だった。……

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月夜の犬

僕はあまり犬が好きじゃない。
あの、何もかも主人の言うことをきくその姿が僕は苦手だ。
子供のころ飼っていた事があったが、飽きっぽい僕は散歩にもろくに連れて行かず、結局早死にさせてしまった。本当にかわいそうな事をした。
僕のように計画性がなくて、規則正しい生活を送るのが苦手な人間は犬なんか飼うものじゃないと思っている。
飼うなら猫がいい。
お互いのことを認めつつも、お互いの内面まで干渉しあわないでいられる関係がいい。
時々近くに寄って来て「調子はどう?」と尋ね、忙しそうにしていると「あ、そう」と気にもせずにまた自分の生活に戻っていく猫なら、気兼ねしないで済む。
犬の中でも座敷犬のような愛玩犬は、まるで肥大した人間のエゴをそのまま奇怪にデフォルメして体現していて、見てるだけでも虫唾が走る。服なぞを着せて散歩してるのを見ると踏みたくなる。以前、電車の中の広告で何種類もの犬に洋服を着せた写真がそこらじゅうに張られていて気分が悪くなり、広告主に殺意さえ覚えたものだ。
友人関係を壊すといけないのであまり無茶は言ってはいけないんだが。
だが、こんな僕でも犬もいいな、と思ったことがある。
ドーベルマンはいいと思う。
僕が85年式のGSX-R750に乗っていたころの話……

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古い日記

僕が22,3のころだから、もう20年も前の話…
ああ、そうだ、VF750Fを手に入れたばかりの頃だっけ。
そうか、もう20年もたつんだ。
ちょうどキャッチセールスが出始めのころ。
18,9から22,3のころって、社会的に世間知らずの一番バカで、それでいてそれなりにお金を持ち始める年頃だからなのか、こういう年代をターゲットにして教材だの絵だの旅行だのという「未来を予感させる商品」を売りつけられる。
ご多分に漏れず、僕のところへもそういう電話が頻繁にかかってきた。
もう、こんな手口は廃れちゃってるのかな。それともまだ有効なんだろうか。個人情報保護法とかあるから、簡単にはいかなくなってるんだろうけど、僕はすっかりオジサンになっちまってこういうのとは縁がなくなってるから実際のところはわからない。
大抵、お年頃の女の子が電話をかけてきて「会ってお話をしたいの」みたいに呼び出されるわけだ。
そして、もちろん僕は鼻の下を伸ばしてのこのこ出て行くわけだよ。
そして、大抵の場合…いや、全部の場合、か。がっかりしてすごすご帰ってくることになるわけなのだけれど。
そろそろキャッチセールスという商売の胡散臭さに気づき始めていたある日、またその電話はかかってきた。
警戒はしていたのだけど、なんだかチャーミングな声とそのトーンに誘われて、僕は懲りずに出かけていった。
鼻の下を伸ばした僕が勧められた「未来を予感させる商品」は、資料だった。
「あなたが勉強したり調べ物をしたりしたときに必要だと思う資料となる書籍を定額でお届けします」というサービスだった。
このサービスを「わずか1日たった1杯のコーヒー代と同じ値段で」提供してくれる…ってわけ。
今でこそインターネッツとやらが普及して調べ物をするのはだいぶ楽になったけれど、当時は「調べる」という作業さえ本屋や図書館に入り浸らなくてはできない仕事だったから、そういう調査資料サービスというのは、とても珍しく、その上、本が好きな僕にはなんだかとても得になりそうなサービスに思えた。
「ある飛行機について調べようと資料を請求したら、ダンボール箱一杯の資料が届いたんですって」とその女の子はニコニコして言った。
…あー。
そう。
それだけじゃなくて。
えー。まあ、それを案内してくれた女の子がとても可愛らしかったんだ。
僕はその商品を誉めた。
なかなかいい。今までいろんなものを勧められたけど、投資したのに見合うサービスって受けられなかった。でも、これは使えそうだ。
ああ、でも、僕はブルーカラーだから調査とか仕事では、やんないんだよね。
自分の趣味で使うには…いくら1日のコーヒー代だっていっても50万は難しいかな。バイク買っちゃったしね。
このバイクに憧れて大型免許とったんだ。難しかったよう。ナナハンだよ。
君はどこから来てるの? え?九州?
でさあ、ねえ、せっかくだから、ここじゃなくてさ、ファミレスかどっか行かない?ゆっくり。
んー、ダメ? へえ、会社の人に見張られてるんだ…
今、どんな会話をしたか思い起こしてみると、もうちょっとなんとかならんものかとも思うが、まあ、下心満載のノータリンのコゾウの会話なんで、この程度の何のふくらみも無い貧相な話しかできなくて…まず、まあ、情けないのだけども。
だからモテなかったのか。
他のキャッチセールスの会話と違って、その女の子…Kさんとはずいぶん打ち解けた話をしたと思う。キャッチの女の子は結局はビジネスライクで、口はうまいのだけど、本心は見せたりしなかった。
でもKさんは、まるでシロウトみたいな普通の女の子で、僕のつまらない冗談にケラケラ笑った。彼女はしまいには「あのTVに出てるコーラスの人いるでしょ。私の音楽の先生が言ってたけど、あの人ホモなんだって」なんてビジネスの話そっちのけでバカな話をしていた。
僕はそれとなく聞いてみた。
「君さあ、こんなこと言っちゃいけないかもしれないけど、こういう仕事ってけっこう大変じゃないの」
Kさんは、ちょっと顔を曇らせた。
「いろいろあるのよ…」
いろいろね。
いろいろかあ。
ノータリンの僕はそんな相槌しか打てなかったけれど、彼女が、そのビジネスの胡散臭さに気づいていることはわかった。
僕は彼女みたいなチャーミングな子が、どうして郷里を離れてこういう胡散臭い商売をせざるをえないのか、計り知れない事情を思って話題を変えた。
結局僕はそのサービスは買わなかったけど、Kさんという可愛い女の子のことはずっと覚えていた。
何ヶ月かしたある日、僕が出先から会社に戻ると、上司が僕を呼びとめた。
「今、Kさんって女の人から電話があったよ」
しばらく僕は誰のことかわからなかった。
あ… あのKさんか。
Kさんの苗字は僕の住んでいる地方では珍しかったから、心あたりのあるKさんと言えば彼女しかいない。
僕は彼女に名刺を渡していたから、職場に電話したんだろう。
「何て言ってました?」僕は聞いた。
「いや。何にも言って無かったよ。用事があればまたかけてくるんじゃない」
上司はちょっと変な顔をして続けた。
「何か泣いてたみたかったぞ」
「え? 電話番号とかは?」
「知らんよ」
結局Kさんはそれっきり電話をかけてこなかった。
だから、なぜKさんが泣いていたのかもわからなかった。