林信吾の壮絶なる最後の瞬間

これから書くことは、右翼思想・左翼思想だとか軍事の話は全く関係ない。
リテラシーの話だ。
僕はちょっと左っぽい平和主義者なので、戦争は大嫌いだ。死ぬのは怖いからな。
加藤幸弘さんという極左の人とも友達なくらいなので、僕の左は間違いがない。
戦争がおきては大変だし、徴兵制なんてなったらエライことだから、時々軍事に関する情報に目を通している。
「週刊オブイェクト」というblogは、読みやすいし、間違いや偏向も少ないようなので時々覗いている。
(間違いがあっても、確認のうえきちんと訂正をいれているので、かなり信用できるんじゃないかと思っている)
このblogでは、他のサイトや書籍で間違った記述をしているようなことがあると、資料に基づいた内容の確認と、その訂正を行っている。僕のような左っぽい平和主義者は軍事のことにはからきしなので、うっかり変なものを読んで間違った知識で思い込みをしてしまわないためにも、たいへんありがたい。
つい最近も「反戦軍事学」という本を批判的に紹介していた。
僕にとっては紹介している本がデタラメだろうが、買わなければ良いだけなので、正直、この本自体には興味がない。それよりも、資料に基づいて解説をすすめていくやり方は偏向的な情報に惑わされないための教育読本となるので、書評が進むのを期待していた。
ところが、この批判に、著者本人が突撃してきたのである。
…いや、そこ、驚いてもいかんし笑ってもいかんよ。ホントのことなんだから。
まあ、せっかく本人が来たので、「アンタの書いてることは、ここがこんなふうに間違ってると思うがどうよ?」という流れになりますわな。
そうしたら「オマエラみたいな雑魚のネトウヨに説明する必要なんかねえよ」みたいな罵詈雑言。
…いや、そこ、驚いてもいかんし笑ってもいかんよ。ホントのことなんだから。
挙句の果てに、ジサクジエン


 JSFさん、気をつけてくださいね。
 あなたの味方が、援護射撃のつもりでやったことかもしれません。でも、反対に、林の側の人間が、なにかたくらんだのかもしれません。
 みんなの林祭りを見届けてから、また本当の本人が出てきて、バーカ、と言うかもしれません。
 でも、私の予測では、もう来ないと思います。

Posted by 関係者ですよ2 at 2007年03月18日 12:24

…いや、そこ、驚いてもいかんし笑ってもいかんよ。ホントのことなんだから。
結果的に、IPからその所業がバレ、盛大に祭りが発生した。

朝日新書「反戦軍事学」を読む~林信吾さん本人確認&自作自演暴露編~ : 週刊オブイェクト
以上、「関係者ですよ。」「関係者ですよ2」名義の書き込みのIPアドレスは[6●.●4.3●.8●](一部数値を伏せて置きます)であり、これまでの「林信吾」名義の書き込みのIPアドレスと全く同一でした。このIPアドレスでの投稿は「関係者ですよ。」「関係者ですよ2」及び、今までの「林信吾」名義の書き込みの全てであり、それ以外の使用はありませんでした。

さらには駄目押し


それなら、乗りかかった船で、もう少し盛り上げてやろうか、ってんで、「突然のヘタレから自爆」というシナリオを、自作自演。
皆さん、ハマったでしょ?

JSFよ、この理論が理解できるかね?

だから、「著者自身の言葉で(本の内容が)否定された」「著者に質問がある」などとは、全部独り相撲に過ぎなかった、ってこと。だって俺、著者じゃないから
今日はお彼岸。
ネットだけが世界だと思っている亡者の皆さん、どうか成仏して下さい。
合掌。
Posted by 林信吾 at 2007年03月21日 08:30

…いや、そこ、驚いてもいかんし笑ってもいかんよ。ホントのことなんだから。
僕はなんだかだんだん退屈になってきてしまった。
「俺はニセモノだし全部釣りでした」という予想範囲内の反応。
芸もリテラシーも世知もない。
こんなバカじゃあどこを押してもバカの汁しか出てきやしない。
これから先だって何一つ予想外の行動なんて起こせるわけがない。
これから「自称:林信吾」は間違いなく本物の林信吾だということを証明していくことになるんだろう。それは「週刊オブイェクト」のブログマスターのJSF氏がやらなくても、ネット中の愛好家が外堀を埋めていくことになる。
そしてネットを経由して林信吾の評判はどんどん落ちていく。今現在でさえ、Amazonの書評はてきめんに落ちている。
ネットの話題が飽和してネット外に出て行くのは、「電車男」とか「今週妻が浮気します」とかの例からするとだいたい半年くらいか。
たった今は、確かに林信吾には大した影響は無いだろう。発売してしばらくたってからの悪評は、全体の販売量にはそれほど大きなものにはなりえないだろうから。
しかし、今後、「林信吾」という名前は、常に失笑をもって語られることになる。
どんな本を出しても「今回はどんなバカなでたらめを書いているんだろう」という目で見られることになる。もちろんネット書評では悪評が増えていく。
悪評が増えても、最初は売り上げに大きな影響は無いかもしれない。
しかし、軍事に関する依頼は減っていくだろう。
志茂田景樹のように作品の質が落ちても、その他の活動で生活できていけばいいけれど、林信吾=信用できない人物という評判はそうそう消せるものではない。
作品の質が低い上に人物の質が低いとみなされては、他の著作を出しても、他の活動を始めても胡乱な目で見られることになる。
これはもう決まったことだ。
この道はまっすぐ続いている。
予定調和だ。 退屈な予定調和。 まるで林信吾の釣り宣言みたいに。
結局、ネットが社会の延長だということに気づかない人なのだ。
こんなこと、もう何年も何十年も前から繰り返し言われてきたことだ。
そういうことが未だにわからぬ者がいるということに、僕は絶望を感じる。
学習能力の無い者は家畜と一緒だ。 家畜が語る社会主義など何一つ信じるに足らない。
社会主義が成り立つのは、人間が教育によって理性でもって科学的、論理的に振舞うことだからだ。

さくらちゃんを救う会

僕の友達にこ~という男がいる。
シゲの掲示板で行き会うバイク乗りだ。
掲示板でクッダラネーやりとりをしたり、何度か一緒に酒を飲んだりしている、気持ちのいい男だ。
彼の娘の友達が心臓病だっていう。1億円以上もかけて心臓移植をしないと助からないと。
その娘のご両親は、すがるような思いで募金を求めることにした。
かわいそうに思った彼は、なんとか力になってやりたいと、大金を募金したり、mixiで日記を書いたりしている。
募金活動の母体である「さくらちゃんを救う会」は死ぬ死ぬ詐欺なんて言われて、えらいこと糾弾を受けているらしい。
こ~のところにまで、募金活動を怪しんだ人たちが批判を寄せてきている。
批判する人たちが言うように、救う会の活動が十分じゃないのは多分そうなんだろう。
しかし、ああしたらどうだ、こうしたらどうだと言ってるうちにさくらちゃんは死んでしまうだろう。
いっそのこと、こうすれば完璧っていう案をひっさげて誰か代わりにやればいいのに。
こ~の本職は報道カメラマンだ。
世界中を飛び回って、世界中の悲惨な様子を見てきている。
切り取られた自分の陰茎をくわえさせられた死体や、栄養失調で死んで行く子供を見ている。あんな死体、こんな死体、昨日まで生きていて話をしていた相手が今日は死んでいる様子を見ている。彼の本名でググればその道ではけっこうな有名人だ。
こ~がスレッカラシになって斜に構えていたって、不思議じゃないと思う。さくらちゃんを「明日は死んでしまう命のひとつ」と数えることだってできるだろう。
しかしこ~は隣人の幸せを願って、集中砲火を浴びるのを厭わずに、一生懸命取り組んでいる。
「自分は偽善家のエゴイスト」とこ~は言う。「バカだからやってるんだ」とこ~は言う。
確かにその通りだ。バカだ。
自分の名を惜しまず、自分の金を惜しまず、人のために力を尽くすこ~は筋金入りのバカだ。
数々の悲惨な風景を見てきていながら、オヒトヨシであり続けるこ~は、こりゃ一生治らないオヒトヨシなんだろう。
もしこ~が僕の友達でなかったとしても、彼のやってることを見かけたら、僕はこ~を応援せずにはいられない。
さくらちゃんが幸せになりますように。こ~の努力が実を結びますように。
こ~のようなバカが幸せになりますように。
———–
さくらちゃん関連のBlogにトラックバックを飛ばそうとしたが、公式サイトは批判の多さに辟易したのか、トラックバックを受け付けていないようだ。
さくらちゃんに対して好意的なエントリを書いたBlogは軒並み批判されているとも聞く。
応援しているってことを表明したいので、まずはエントリを上げておく。
さくらちゃんを応援するサイト、こ~を応援するサイトに対してトラックバックしたい。
トラックバックすべきサイトがあったら紹介してくれい。
sakura-banner02.gif

中田英寿の引退

タイトルに反して高橋竹山の話をしよう。
津軽三味線を日本中に紹介したとも言える、戦後民謡界の巨匠。盲目のミュージシャンの高橋竹山だ。
竹山は、有名になった後も、呼ばれればどこへでも出かけて行き、どんなステージでも演奏した。
ググってみると、なんときっこの日記に紹介があった。

さるさる日記 – きっこの音楽日記 ■2003/11/28 (金) 高橋竹山 ⑤
竹山の最後のステージは、1997年(平成9年)12月21日、夜越山温泉の大宴会場でした。
喉頭ガンで入退院を繰り返していた竹山は、すでに末期の状態で、前日にも血を吐き、もうしゃべることもできず、足もおぼつきませんでした。孫娘の哲子に支えられて会場入りし、何とか三味線を弾き始めますが、竹山には、もう三味線を抱える力も残っていませんでした。哲子が三味線の胴の部分を支え、そして演奏は続いて行きますが、それは、とても人に聴かせられるようなものではありませんでした。
この年、竹山は数回の演奏会を行なっていますが、衰弱しきった体で弾く、全盛期には遠くおよばない頼り無い演奏に、周りからは、「もう見ていられないので演奏は止めて欲しい」と言う声が出ていました。それでも竹山は演奏し続け、この日もステージに上がったのです。
そして、翌1998年2月8日、竹山は、87年の生涯を静かに閉じました。

僕はこのビデオを見たことがある。(僕の記憶では商店街のステージだったが、どうやら僕の勘違いらしい)
宴会場で撮影されたビデオは家庭用のハンディカムだ。酔っ払いばかりの宴会場で、ヨレヨレのグダグダの演奏をする高橋竹山。誰も真剣にその演奏に耳を傾けていないステージで演奏する竹山は…老醜というに相応しい。
みっともないからやめてくれ、見ていられないからやめてくれ、という周囲の声があったのもわかる。
僕が初めて竹山のLPレコードに針を落とした時に響き渡った、あの張り詰めた音、腹を揺する衝撃からは、まったくかけ離れた音だった。
しかし、その老醜をさらす風景は、僕には決して忘れられないものだ。
これこそが三味線を生きるということだ。人生と三味線とが分かちがたく結びついた者の、本当の最後の風景だ。
竹山は、自分の演奏が往年の演奏には遠く及ばないことを知っていた。全盛期の自身のテクニックと演奏には自負があったはずだ。
しかし、竹山は三味線自身なのだ。
三味線自身がどんなに皮がやぶれ糸が切れようと、鳴るしか能が無いのである。
他にどうしようもないのならば、どんな三味であろうと鳴る以外ないのだ。
僕は三浦カズを思う。
「往年の」つきの名選手。
日本代表に選ばれなかったとき、「じゃあ2010年に」と言った男。
僕は、三浦知良のことをバカだと思っていてちっとも好きじゃなかったけれど、今はカズの方がずっとかっこいいと思う。
中田は自分の理想を持っているんだろう。
その理想から外れることが、どんな場面であれ許せないのだ。中田は、マスコミが無責任に知識も無く彼を評した時に強い忌避をした。本当の自分を知って欲しいと思っているのだろう。
彼は自分自身を常に自分のコントロール下においておきたいのだ。
しかし残念ながら、世の中のほとんど全て、人生のほとんど全ては自分のコントロール下には無い。
それは必然だ。自分自身でさえ。
もともとコントロールできないものを何故彼はコントロールしようとするんだろう。サッカーだからか?
ゴールキーパーの手の中にあるボールを奪いに行く必要はないだろうに。
中田が自分の全てをコントロールしようとするそのことに、僕は溜息をつく。
そのプライド、その行為は、有効な行動なのか?
まさしく無意味なパフォーマンスでしかなくなってしまうのではないのか。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあろうに、と思うのである。

人生の二周目

5月の22日は弟の誕生日でなー、弟に電話をしたのさ。
「いくつになった?」つったら40だってヨー
いやあ、さすがは我が弟。やるやるとは思っていたが。いやしかし、いつのまにか兄を追い越す日が来るとは思わだかだだだよ
えだいなー、兄は本望だだだよ
聞けばな、40にもなれば思うこともあるっちゅうだよ。
えだいなー、やっぱ40になると思うことがあるっちゅうからな。
思うっちゅうのがまずえだい。
普通はなかなか思いませんよ? 思わんでしょう。
ほんでな、何思うっちゅうか聞いてみただ。
したらな……

続きを読む

松永さんについて

オウムの信者だったという松永さんについていろんな論評が出ているようだ。
僕自身は彼の今までの言動について詳しくないし、直截的に僕の利害に関係したことではないので、深入りはしないつもりだ。
ただ、昔、オウムの信者にほんのわずにか関わった経験があって全くの他人事とは思えないところもあり、また、僕がこれから書こうとしている視点から松永さんについて論評しているのを見ていないので(僕がきちんとフォローしていないだけかもしれない)これから書くことが、もしかして松永さんと彼を取り巻く状況を理解するための補助線となれたらと思っている次第。
結論から先に書いてしまうけれど、松永さんを「元信者≒修行者」と考えるのは変だと思う。
確かに、松永さんは今までオウム信者として登録していたのだろうけれど、修行者だったことはないんじゃないだろうか。
「修行経験者」ではあるかもしれないが、僕の目からは修行者とは言えない。
修行をした、という報告と、修行者的な行動とは別のことだ。
……

続きを読む

胡散臭い恋

僕はなぜか北海道と縁があって、1,2回しか行った事がないのに、北海道関連の集まりに参加している。
先日もその集まりの忘年会があってしこたま飲んできたのさ。
そこでの話。
北海道の人は地続きのロシアへ働きに行くことがあるそうだ。「なんもだー」というお人柄なので国境とかそういうことは鷹揚で(*1) ほいほいロシアに行くらしい。
その男も、官庁の仕事で数年単身赴任でロシアに出稼ぎに行っていて、最近帰ってきたところだという。
酒の席の男の会話だ。その男の友達が彼をからかうわけさ。
「単身赴任で何やってきたんだよう」って具合に。
「いやまあ、そりゃ」
「ストッキングいっちょで釣ってきたんか」(*2)
「そんなもの使わないよ、俺にかかればイチコロ」
「何言ってんの、ヒゲとか生えてたんじゃないの」(*3)
「いや、すげえ美人だって。俺に言わせりゃシャラポワなんて目じゃないね」
「いやー、でもロシア娘は20歳超えるとスゲー勢いで太るって言うしさ」
「そんなことないって。モスクワなんか全然ヨーロッパな感覚でエクササイズも流行ってるんだよ」
「あれ?お前北方領土に赴任だったじゃん。モスクワなんて」
「や。そりゃ時々は」
「ワキガとかは?」
「とんでもない。毎日サウナ入ってんだって。俺も一緒に…うへへへ」
そんな具合に、自分の彼女がいかに美人だったかを自慢するんだが…。
しかし、どこから見ても冴えない男なんだがなあ。……

続きを読む

僕は外食では極力辛いものを食べないようにしている。
なに、別に辛いものが嫌いなわけでもないし、苦手なわけでもない。宗教上の理由でもない。キムチもカツカレーも好きだ。大好きだ。
ただ単に汗っかきなのだ。
以前から辛いものを食べると汗をよくかいた。最近はそれがずいぶん激しくなってきたみたいだ。
以前は汗をかきかき、ギョーザを食べたりしたものだが、今では甘口オコチャマカレーでさえ汗だくだ。
自宅で辛い料理を食べるときはタオルが手放せない。最初のうちは汗を拭き拭き食べているのだが、しまいにはターバンみたいに頭に巻きつけて食べるはめになる。
もちろん食べ終わったらそのまま風呂に直行だ。
そういうわけで外食で辛いものを食べるときには風呂がついていないとダメなのである。
もし僕が異性と食事をする機会があったとして、食事と一緒に部屋がとってあったとしても、それは単に僕が身だしなみを気にするからというだけなので、何の下心もない話なので遠慮しないでいただきたい。
汗をかきながら、いつも僕は浜松にいる自分の父親を思い出してしまう。
僕の父親もこんなふうに大汗をかきながらコショウたっぷりの辛いヤキソバを食べるのだ。
父親を思い出すたび、僕は心穏やかでいられない。オヤジはもうすっかりトシをとってヨボヨボしはじめたのだけれど、いまだに僕の中には葛藤がある。憎いとかそんな感情は無いけれど、大人になるまでの父親との対峙の記憶は僕の心の中に古びながらも大きく横たわっている。
口が悪くて癇癪持ちで歯並びが悪くて小心者で汗っかきの僕は、そういう父親とのつながりを思うと何かがうずく。
まだ許しきれない自分の心の狭さだとか。奥底にある父親への憧れや愛だとか。
そういう葛藤がわだつみの底からぽかりとあぶくみたいに浮かぶ。
僕の子供たちは僕のことをどんなふうに思っているんだろう。
僕は良い父親ではないし、自分の血がつながっていくことにも興味が無い。
それでもY染色体と家族の文化は否応なくつながっていく。
今日も用心してちっとも辛くなんかない硬ヤキソバを頼んだのに、結局汗をかきながら食べることになった。
昨日は和風ハンバーグで汗をかいた。
ショックだったのは、先日、弁当の中に入っていたウメボシを食べて汗をかいたことだ。
どんどん過敏になってきてるみたいだ。
思い出した。
去年、家族で焼肉を食べに行ったら、店に入って席待ちをしてる間に汗をかきだしたんだっけ。
あ。
そうこうしているうちに、辛いものの話をしてたら、うっすらと頬に汗が

追悼

本日、「彼」を知っている人たちの間で飲み会。
彼の悪口、ダメさ、至らなさ、ろくでもなさ、ヌルさ、弱さ、足らなさ、バカさ、エロさ、アホさ、ええかっこしさ、などなどなどなどを皆でクソミソにこき降ろした。
「ヤツは…がダメだった」
「ああ、そうそう。そういう所あった。アイツはだから…なんだよね」
「それよ。そういう所でほら、…みたいにね」
「そりゃずいぶんだよね。バカだよな。だから…なんだ」
こんなにお前のことを悪く言っていて、こんなに皆でお前のことを気にしていて、それでいて皆がお前のことを愛していたんだよ。お前がダメだって皆わかってて、それ以上にお前を認めていたんだよ。
これだけ愛されていたならそれで十分じゃないの。一生分の持ち分じゃないの。
この場にお前がいたら、皆して説教だよ。お前がどれだけバカで、どれだけ皆の心を揺さぶっているのか、お前がわかるまで、お前が参った、もう勘弁してくださいって言うまで説教だよ。
お前バカなんだよ。
ホントにバカなの。ちょっとくらいアタマいいとか、そんな勘違いしちゃうくらいバカなの。
この場にお前がいたらよかったのになあ。
ほんとうにそうだったらよかったのになあ。
–‘05.09.07 23:54 追記–

続きを読む

電車男

以前のエントリで、

電車男が恋愛のために脱オタク化する物語だとしたら、それは俺は激しく否定するぞ。

と書いたが、今日の番組の中では主人公はオタクとして生きていくことを選んだみたいだ。
そういう自分を肯定することを選んだみたいだ。
友達はこの番組をかばっていたっけ。