明けましておめでとうございます。

今年は僕は年男なんですよ。
丑年生まれってワケで。
なので今年こそは本気だそうかと。明後日から。
でー、こうダラダラと始まりますが。
えー何の話でしたっけ?
トシをとると忘れっぽくなっていけねえ。
飽きっぽくなるしね。根が続かないってかね。
目も遠くなるねえ。白髪も出るし。
そういえば検診の結果が
え?blogについてのお話?
それよ、せっかく今始めようと思ったのに
でまあblogの話ですよ。 ……


いやあね、俺もこのblogは始めた頃は楽しかった。
いや、今でも楽しい。
それでも書くペースがだんだん落ちてきているっていうのは「思うこと」が蓄積してきたせいだと思うんだよね。飽きるというのとはちょっと違う。
実はさ、こないだレンタルサーバの引越しをやってた時に、blogのバックアップを取ったんだけど、エラーが無いかどうかデータの確認をしたのよ。
テキストで落とした自分のエントリのリンク情報なんかを流し読みするつもりでいたら、本文の方に夢中になっちゃってね。けっこう面白いでやんの。
いや、バカだね、このblog主は。ムキになってタガが外れたネタでblog書いてるよね。
んで、ヤリスギで時々ヘコんでたりするよね。しかもそういうのをわかってやってるよね。
まあ、所々読みにくいところとか、勘違いしてるところとかあるけど、なかなか他には無いんじゃねえの? blogの向こうに生身のバカがいるblogっていうのは。
惜しむらくは更新頻度が少ないことかなあ。
もっとどんどんバカやって勘違いしてムキになって書くといいよね。
とまあ自画自賛なんだけども、半分くらいは本気でそう思った。
だってさ、俺が読みたいのはそういうblogなんだもん。
blogの向こうに生身の人間がいて、しかもそれがネタを一杯持ってたら、面白いよ。
そいつとお近づきになりたいと思うし、そのためのコメント/トラックバック機能じゃん。
でもねえ、そういうblogっていうのは、まず無いよね。
俺が贔屓にして更新を楽しみにしていたblogはだんだん更新のペースを落とし、次々と店じまいをしていく。
blogが続けられる動機は、読者のコメントがあるから、みたいな話を黎明期のblog紹介記事で読んだことがあるけど(俺はひとっつも信じちゃいなかったが)、コメント/トラックバックとかはてなブックマークとかのコミュニケーション機能っていうのは良くも悪くもblog主への刺激になるってことなんじゃないの。
ネタを抱えた生身の人間は刺激で磨り減るんだよ。
「30代毒女沼の中」のhagekoさん、僕は今でもあなたのファンです。
結局さ、言葉っつーのは限られたコミュニティの中でしか十分には伝わらないのよ。
ってか、コミュニティを広げれば、正確に伝播させるのにコストがかかるのな。
例えば俺はさ
「殺すのも殺されるのも俺の天秤の上に乗ってる」
って書きたいのよ。
これは刺激的な言葉だってわかってるよ。でも俺の言いたいことでもあるワケ。
俺がこの言葉の真意を十分に伝えるにはいくつもの言葉を重ねて背景を説明しなくちゃいけない。
会社・家族・友達・合気道・バイクのどのコミュニティでも受け取られるニュアンスは変わるし、共感を得たからって俺の真意が伝わっているとは限らないし、真意が伝わったからって理解されない場面だってある。
多分一番悲惨なのは「裾野の麓の田んぼのタニシ程度の健康体操やってるおまいのどの口が抜かすんじゃ、おー?」ってとこらへんなんだろうけども。
でもなー、言葉を積み重ねた親切な解説なんかしないで、短い言葉を受け取った側で感じる何かも必要なんじゃないかとも思うし、相手の納得しやすい言葉に置き換えていったら、それも俺の言いたいことと離れていくような気がするんだよね。
そういう逡巡が、更新頻度を減らしていく要因なんだと思う。
何も完成度を高めたいわけじゃない。
毎回同じ切り口で同じようなことを書いていくのがイヤなんだよね。
ニュースをネタにああでもないこうでもないと話題にするblogが多いらしいけども、俺にはとてもできないな。日々の出来事なんて書く気なんて無いの。
俺はネタになってるものを書きたい。
「世界で3人のためのblog」ってこのblogを立ち上げたときに書いたっけ。
「俺と君とまだ見ぬ誰かのために」って。
それは今も変わらない。
俺のblogは辺境のマイノリティだ。
だから理解されない。
でも面白い。
俺が目指してるのはそういうblog。
でな?
そろそろ、こうした逡巡には見切りをつけようかと思うのよ。
どっちみち、どうせ伝わらないのよ。
伝わらないから黙るんじゃなくてさ、伝わらないのをわかってて、俺が書きたいように書けばいいんじゃね?
一種の諦念なのかもしれんけどさ。俺は書くことが好きだし、誰かの刺激になればうれしいし、俺が読んでて楽しいからな。
というワケで、今年もよろしくお願いします。

9 thoughts on “明けましておめでとうございます。

  1. 伝わらないことは怖いよね。
    伝わないことが当たり前で黙ってしまうのは私。
    伝わないことがわかっていても書こうとするのまd兄。
    ここが違うのでしょう。
    黙ってしまうと、閉塞してくるんだよね。
    真暗な土管の底に向かってはいやだけど、青い空や、海に向かって叫ぶのは精神衛生上よいことだし。
    でもやっぱり黙るのかな私。

  2. nomad大兄、アホのオイラには難しい事はよくわかりませんが更新楽しみにしてるのでハイペースでおながいしますた!!

  3. 明けましておめでとうございます。
    今年もよろしくお願いします。
    言葉によって伝えようとしているその中身は何なのか、
    ということで、結局お馴染みの議論になりそうですが、
    原理的に言葉の中身は伝わらない。
    だから、自らを尺度に解釈して共感するしか術はない。
    そして、そのような共感は大いなる誤解かも知れない。
    極論すれば相互に誤解しあってコミュニケーションは
    成り立っている。
    でも、それを引き受けて言葉を紡いでいくことで、何
    かが伝わっていく。
    まあ、その何かは永遠の謎ですが。
    そんな風に思います。
    ではでは。

  4. すみません。
    たった今、気がつきますた。
    気がつかないまま、エントリー書いていますた…。(´・ω・`)
    今年もよろぴくお願いしますです…(^^;。 m(_ _)m
    「確認」するたびに、入力するべき「文字」が変わるんですね…(^^;。

  5. どうも。
    お久しぶりでございます
    兄貴のブログが好きな人って・・・
    結構いるんじゃないかと。自分も含めて
    今年もよろしくお願いしますYO!

  6. こんばんはイカで~す。
    確かに物忘れも激しいし...じゃなくて。オレも自分トコに深~い洞察の表層を書いているのだが、表層なので軽~くて飛んじゃいそうだっ、揺れたら雪崩が起きそう。それって、『表層雪崩』って言うのか?そうそう、表層雪崩って早いんだってね。200km/hぐらい。オレのバイクより早いじゃんか(タンク直してから言え!>オレ)。
    と、いうわけ(何が?)で先日近くを通ったんだけど、時間が無くて寄れなかった。1/11 駅前の産業振興会館でロボットの大会があったのさ。話したい事があったけどそれはまたと言う事で。

  7. >2号
    おう、またな。
    俺ももう少し更新頻度を上げたいとは思ってるんだがなあ。
    >イカイカ
    またゆっくり話をしよう。いつでもおk。

  8. 読み手がどう受け取るかの可能性を想定した途端、俺も書けなくなった。
    自分のサイトは酔っぱらったとき限定。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください