月夜の犬

僕はあまり犬が好きじゃない。
あの、何もかも主人の言うことをきくその姿が僕は苦手だ。
子供のころ飼っていた事があったが、飽きっぽい僕は散歩にもろくに連れて行かず、結局早死にさせてしまった。本当にかわいそうな事をした。
僕のように計画性がなくて、規則正しい生活を送るのが苦手な人間は犬なんか飼うものじゃないと思っている。
飼うなら猫がいい。
お互いのことを認めつつも、お互いの内面まで干渉しあわないでいられる関係がいい。
時々近くに寄って来て「調子はどう?」と尋ね、忙しそうにしていると「あ、そう」と気にもせずにまた自分の生活に戻っていく猫なら、気兼ねしないで済む。
犬の中でも座敷犬のような愛玩犬は、まるで肥大した人間のエゴをそのまま奇怪にデフォルメして体現していて、見てるだけでも虫唾が走る。服なぞを着せて散歩してるのを見ると踏みたくなる。以前、電車の中の広告で何種類もの犬に洋服を着せた写真がそこらじゅうに張られていて気分が悪くなり、広告主に殺意さえ覚えたものだ。
友人関係を壊すといけないのであまり無茶は言ってはいけないんだが。
だが、こんな僕でも犬もいいな、と思ったことがある。
ドーベルマンはいいと思う。
僕が85年式のGSX-R750に乗っていたころの話……


僕は夜中になると毎日のように友達と連れ立って浜名湖一周のチョイ乗りにでかけた。
浜名湖の周囲はちょっとした峠道で、飛ばせば数時間で帰ってこれる。
箱根や伊豆の峠には及ばないが、雑誌でもクルマの観光ツーリングコースにも時々使われている。
僕らは気の置けない仲間同士で張り合っていた。誰がどんなコーナーが得意で、どんな乗り方をするかをお互いがわかっていたから、かなりのハイペースで飛ばしながら、相手の弱いところで勝負をしかけていた。
時々は仲間以外の飛び入り参加もあって、一生の宿敵、フィアットX1-9に出会ったのもこのコースだが、それはまた別の話。
その日も僕らは浜名湖一周に出かけた。
夜の11時か12時ごろに溜まり場になっていた喫茶店を出て、三ケ日のレイクサイドウェイの料金所前のドライブインで缶コーヒーを飲み、後は一気に自宅まで、というパターンだ。
帰り着くのは1時か2時で、それから家の前にバイクを停めて、しばらく相手の走りをこき下ろしたりタイヤの溝を確かめたり、ヤバかった場面を笑ったりしてから解散、というのが僕らの習慣だった。
その日は月がきれいな夜だった。
クルマと違ってライトが暗くて、そのくせ路面状況に敏感なバイクは、夜道を走るのに気を使う。
だから月が出てるというだけで、僕らはご機嫌で、走り終わった後の自宅前のバカ話はいつもよりも興が乗っていた。
僕はそのころ吸っていたゴロワーズを何本も灰にして笑いあっていた。
何本目かのゴロワーズに火をつけようとして、ふと話が途切れたその時、なんだか異様な音が道の向こうから近づいてくるのに僕は気づいた。
タッシタッシタッシタッシ…
近づいてくる音の方に目を向けると、そこには月明かりに照らされ、黒光りしたドーベルマンが、大きく不吉なシルエットを描いていた。ドーベルマンは爪音を立てて僕らの方に近づいてくるところだった。
僕らは話を止め、その場で凍りついた。
すでにすぐそこまでドーベルマンは近づいていて、どこかに走って逃げられるような状況ではなかった。
僕らが声も上げられずにいると、そのドーベルマンは何事もないかのように近づいてきた。
そして、短い尾を軽く振り、機嫌がよさそうな顔で僕らを見上げた。
その動作に緊張した様子はなく、僕はほっとした。
「やあ、いい月夜だね」
気を取り直した僕が声をかけると、彼女は僕らの臭いをちょっと嗅ぎ、また尻尾を振った。
首輪はしているが、鎖はつけていない。
そして、頭を僕らの足に擦りつけ、それが挨拶代わりなのか、また顔を上げ、僕らを残して歩き出した。
僕らは影のような彼女を見送った。
彼女が、この月明かりの中で、誰にも何にも邪魔されない自由を楽しんでいることが良くわかった。
不吉で禍々しい、悪夢のようなシルエットは、月明かりの中で美しかった。
僕がいつか犬を飼うなら、きっとドーベルマンにしようとこの時思ったのだった。

3 thoughts on “月夜の犬

  1. イマドキだったら、けっこう大問題になっているような出来事ですね((;゚Д゚)ガクガクブルブル

  2. たまたま鎖が外れたんで、散歩に出かけたんじゃないでしょうかね。
    ガクブルは、まさしく、その時に。般若のような凶悪な顔に腰が抜けそうになりましたよ。

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