最近、弟のtakeshiが、自分でもblogを始めたいってことで相談に来た。
気軽に「おー、テケトーに無料サービス選んで勝手に始めろやー」と返事した。
えー。
このように真摯に誠実に対応する俺はやはり人々の尊敬を受けてやまないのだな。
まあ、男だしなあ。
自転車を買おうとする男に「自転車は乗れるのか」「車に気をつけろ」「転ぶと怪我をすることがある」「盗まれたらとても悲しいぞ」なんてアドバイスをするヤツはいない。
いないと思う。
いたらそんなヤツはバカだ。
…だんだん心配になってきた。
いや、そういういらんアドバイスをするヤツが世の中には往々にしているのかもしれんってことに。
もともと、blogに限らず、ネットに漕ぎ出ようってヤツは何を求めているのかしらんが、結果として言えるのは世界が広がるってことよ。
どんな目的であれ、何を期待しているのであれ、結果的にはそいつの世界は否応なしに広がっちゃうんだ。初めて自転車に乗れるようになったみたいにね。
自分の声が遠くまで届くようになり、コンテンツによっては評判を呼んで、あちらの方からわざわざ遠征に来たりな。
自分の言葉は拡大していき、賛同者が現れる。
友人も増えるだろう。
でもなあ、いいコトばっかりじゃあないんだよな……。
俺は20年近く前、地方のパソコン通信の責任者をしばらくやっていた。sysopってやつね。
自分から始めたんじゃなくて運営を引き継いで。
その時、やっぱり掲示板上でケンカが起きたり、運営者(つまり俺)に対して批判的な意見がたくさんあった。
まあ、その20年前からずっとネットの世界は変わってない。何一つ変わっていない。多分、その前のネットの時代…駕籠とか飛脚とかの時代から変わっていないんだろう。
幸いなことに、俺のsysop時代は総じて幸せだった。
苦労はしたし批判も受けたけど、なんとかかんとか維持したし、友達はできたし、うまいこと運営を引き継ぐことができたと思っている。
でも、悩みがなかった訳じゃない。
ただの1対1のケンカなら、実際のところ気にすることは無い。
けどなあ、自分の痛い所を痛烈に突いてくるような批判を受けたり、何の進展も希望も無いような邪悪な冷笑を受けることもある。
俺は経験は無いが、ただ他人を陥れるためだけに全く身に覚えが無いような評判を捏造されることだってある。
しかもただ人を傷つけるためだけに執着して批判を繰り返すヤツもいる。
そういう醜い言動を目にすることだけでもイヤだろ。
俺も、荒れた掲示板で傷ついた会員が退会してしまったり、運営の不手際を糾弾された時にはやっぱり悩んだ。
なぜか辞めたいと思ったことは一度もなかったんだけどね。
もっと怖いのは、自分自身が、そういう醜い言動をしてしまうことさ。
正当な批判を無条件に切り捨てたり、批判や質問にきちんと答えなかったり。
しかもそういう批判者を邪悪な敵と見なして「粘着するバカどもに情けをかける理由は無い」と正当化したりな。
あるいは自分が信じていた友達がそういうことを言い出したりすることがある。
そんな時、何を信じていいのかわかんなくなっちまうだろう。
ことに、政治的、社会的な強いメッセージを流すとこういう目に逢いやすいな。
「イラク派兵反対」とか「イラクで人質になったヤツラに反省を促す風潮そのものが許せん」とか「韓国・朝鮮を悪く言うな」とか、そういうやつ。
こういう主張こそ社会を変えていく原動力になっていくんだが、しかし、世の中に石礫を投げようとしたら必ずそこに批判や敵意は向けられる。自分ではどんなに正当な主張だと思っていても、世の中に対して物言おうとした時点で必ず反作用を受けるもんなんだ。
自分の正当な主張を社会に向けて世の中を良くしたいと願っているのに、それにミソつけられるのなんて堪らない話だろ? でもそういうもんなんだよ。変わる、変えるってことはそれだけ労力がいるっていうことなんだから。
言い古された言葉だけど、文字媒体にしてしまうと伝わらないことがある。
俺は、文字媒体が情報量が足らないんじゃなくて、直接会ってコミュニケーションすることと、違う側面を見せるのだと思ってるけど。
実はさ、俺もmixiってヤツをやってんのよ。
紹介してもらうと会員になることができるSNS(ソーシャルネット…なんとか)ってやつ。
なんか、顔見知りが紹介してくれて会員になることができるから安全、とかいう触れ込みだったワケ。
まあ、俺なんか最初からそんなもん信用しちゃいなかったけどね。なにが安全かと。
考えても見ろよ。親兄弟でも親戚でも仲が悪いのはいっくらでもいるだろ。
顔見知りだとか友達だとか夫婦だとか、何が信用できるかっちゅうの。顔見知りだとか友達だとか夫婦だとか、そんなもん、信用を担保するようなもんじゃないよ。
ドメスティックバイオレンスは当然のこと、ストーカーやセクハラなんて、犯人はほとんどが顔見知りだとか友達だとか夫婦だとかなんだぜ。
今まで顔見知りだとか友達だとか夫婦だと思っていても、ほんとうのことなんてホントは何にもわかっちゃいねーよ。わかってるような気になってるだけだよ。
それが文字媒体によって、その人の違う側面が露わになったり、あるいは自分の違う側面が出てきてしまったりするわけさ。
しかもさ、一度mixiに入会すると後は野放しなんだよ。とんでもないサイコ野郎が入会して粘着コメントで何の関係も無い他人の日記を荒らすことだってできるんだ。
悪人を追い出すなんて無駄なこと。善人と悪人に境界線なんかなくってさ、あるのは濃淡なんだよ。で、一番最初にmixiに登録したのが天使みたいな善人だったとしても、いつか時がたてば息してるだけで腐臭を撒くような悪人が招待されてるってこと。
でまた困ったことに、入会したときは善人のつもりでも、時によっては悪人の振舞いをしてしまうってことだな。それとか本当に善人なんだけど悪人と誤解されてしまうとかな。
そうなりゃもうmixiの外も内も関係ないよ。最近評判の首絞め殺人鬼がmixiの会員だったとしても俺は驚かないね。
今はもう、mixiも2chも、あるのはシステムの差であって、本質的な差は無いと俺は思ってるよ。
まあ、そんな具合にな、ネットに漕ぎ出すと、いろいろと腹が立ったり悩んだりすることも増えるわけさ。時には友達の死に直面したりしなくちゃいけなくなったりな。
そんな時にどうするか、ってことがネットで生きてく明暗を分けることになる。
批判や反論を受けたら、それが何を意味しているのか、慎重に考えることだな。
自分の考え不足、知識不足かもしれない。
その批判は自分の意見の違う側面を見せてくれているかもしれん。
全然トンチンカンのように思うかもしれないが、それを自分の言葉に置き換えて、その批判が示すようなことが実際に可能か考えてみる。
で、全然実現性がない批判だったりしたら、相手にしなくて宜しい。「ご意見ありがとう」くらい言えたらなおヨシ。
ずいぶん以前に書いた言葉だけど、いろんな人に誉められたので、いい気になってまた再掲するよ。
のびのびと議論するために、思ったことをやろう。相手を説得できるよう、自分の考えを整理し、相手に向けよう。そして相手の意見が聞くに値したら、自分の意見を変えよう。
で、自分が間違っていたら、すまんかった、と謝ることだね。
謝って自分の意見と態度を改めると、驚いたことに尊敬してくれる人さえ現れて、こりゃあタマランありがたい。わざわざご指導までしてくれたりもしてな。
そういうふうに、誠実に対応していれば、なんとかかんとかやっていけるもんよ。
まあ、そういう俺が今後も間違えず、落とし穴に落ちずにやっていけるかどうかなんて何の保障もないけどな。とりあえずは、今はやっていけてるみたいだ。
相手の批判をきちんと受け止めるのは覚悟っちうかエネルギーは必要だけど、そういうもんがあれば悪意のウンコ爆弾なんか気にもならんくなるよ。
誠実に、良質のコンテンツを提供していけば、必ず賛同者も現れて、自分ひとりで奮闘しなくても良くなるしね。
ま、だから俺はmixiなんてイラネ。とも思うわけだが。
そうは言っても安全なような気がする、という安心感を得たい人はmixiをお勧めするのにやぶさかでないですけども。
どんな海であれ、いずれにしろ船に乗り、沖に漕ぎ出すのはあなたです。
ボンボヤージ。
良い航海を。
-参考記事-
古い記事へのトラバですまん。
音極道茶室: 「荒らしはスルー」の真意
こんにちは。
日記にコメントありがとうございましたm(_ _)m
MLやブログなんかでトラブルに巻き込まれること、
たしかに多いですね。それも自分では予想もしなかった
ような形が多い。
誠実に、コツコツ続けていくしかないというのは、
本当にその通りだと思います。
ネットはどこまでいってもネットだし、現実もどこまでいっても誰かとは繋がっちゃうし、耳ふさごうが壁作ろうが、相手はどこかにいて生きてるんだから、完全なる断絶などあり得ないと考えるのですがね・・・mixiは多少小賢しい使い方をすれば自分は痛くなくて他の人は蹂躙して遊びまわることが出来る場所になってきました。もともとそういう性質はあったのに、それを利用しない良心が10000ユーザくらいの規模のときはあったんですけどね・・・。今はその100倍人がいるらしいですから。よくわかんないや。どんな場所でも黎明期に対して郷愁の念が芽生えるのが人の常でしょうか。
人間、生きていればトラブルはあります。社会活動ってのがトラブルに隣接した擦り合わせのことでしょう。
犬も歩けば棒に当たる、って、きっとそういうことでしょうね。
mixiのようなSNSが現れた時に、誰かが「パソコン通信じゃん」って言ってましたが。確かにその閉鎖性はあのコミュニティに雰囲気が似ていました。
だからやっぱり、同じような道を辿るだろうな、と僕ははっきり限界を意識していました。
特定の共同幻想(これは悪い意味ではありません。家族とか国家とかと同じニュアンスです)を維持していくにはある閾値以下でなくてはならず、その閾値は損益分岐点とはだいぶ離れたところにあったようです。
もしSNSがその共同幻想を維持していこうとすれば内部で分割運営していくしかなくて、それはもっとたくさんの人と知り合いたい、新しい情報を得たいという要求とせめぎあうことになるでしょうね。
もう!!(笑
みんなでそんなに押さないでよ。海に出ちゃったじゃんよ。
マストに破れが無いかどころか、マストがあるのかすら自信が無いのにさ(笑
あ、オールは?誰か、俺のオール知らねえ?
実人生で「誠実」ってのは俺にとって「俺の好きな道を歩く」って事なんだけど、俺のこの感覚との接点はあるんでしょうか?
聞いてみたけど答えを求めてるわけでもないですが。
>で、自分が間違っていたら、すまんかった、と謝ることだね。
ここが運命の分かれ道って気がしますね。
本当のプライドはこうして守られるわけで。
あー。折角なので。皆さん力いっぱい薦めて下さるので。
まずは
>すまんかった、と謝る
謝りますとも。とりあえず謝っとく。なんかしらんが謝る。
え?それが間違い?あああ。ごめんなさいぃぃ。