すまんここんとこNWネタばかりだけど、勢いつちゃったんでカンベンな。
僕はgooのRSSリーダーである弁護士のblogを知ったんだけど、同時にあるジャーナリストのblogも読んでるんだよね。
弁護士の方はご覧の通り派手に炎上してるので、その道の物見高い方々が集まってたいへんな賑わいをしている(僕も末席に)のだけれど、その陰に隠れた形ではあるものの、ジャーナリストの方もちょっとした出来事が起きている。
この記事は当初、毒にも薬にもならないいい話のひとつだと思われた。
ところが、ここで紹介されているQBの元社員が、ここで紹介されている社長の言い分はデタラメだ、とコメントを寄せたんだ。
……
佐々木さん、もっと調べてから書きましょう。 (元キュービー社員その2)
2005-02-07 13:14:36
明瀬氏が語ったことを一方的に鵜呑みにされたんですね。
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本当は明瀬氏の言うような貸しはがしはありませんでした。
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明瀬氏が会社の金を個人的趣味(バイクレース、夜の飲食)につぎ込んだりして、潤沢にあった資金を食いつぶしてしまったんですよ。挙句にそのVCおよび他の金づるに支援を断られて、やけになって数人の社員に対して即日指名解雇したりしてました。
次から次へと元QB社員という人たちが現れ、このジャーナリストの記事は全く否定されてしまった。
しかし、ジャーナリスト側はこのコメントに対して全く反応を返していない。
うわあ。僕はこのジャーナリストの記事の全てを信用することはできなくなってしまった。
多分、このコメントを読んだほとんどの人はそう思うだろう。
問題は、このコメンテーターの言葉が真実かどうか、僕らは確かめる術は持っていないのに、このblog主の記事の信用性が失われてしまったことだ。
blogであるにも関わらず、ジャーナリストからの反論が無いことが輪をかけている。コメントでの双方向性が無い分、弁護士のように火祭りにはなっていないが、それだけに無視を決め込んでいるように見えてしまう。
ジャーナリスト…なんて言葉を使わず、記者と言い換えよう。
記者は自分の記事の信用性の再検証なんてしなくていい。適当な記事を書いて、誌面を1週間か1ヶ月埋められればいい。次の時にはよほど特徴的な記事でないかぎり、読者は記者の名前なんて忘れてしまう。
もし、掘り下げが多少浅くても、少しくらい間違っていても読者にはわからない。読んだその時だけ読者が気に入ればいいからだ。
この記事も最初はそうだった。コメント欄もトラックバックも「いい話だ、ためになった」という反応が多かった。ほったらかしておいても、次の記事が投稿されたら以前の記事は過去のものになって行くだろう。
しかしblogは違う。
コメント欄でツッコミが入ると、みるみるうちに記事の価値は色あせてしまう。
このライターの記事だって10件あって、ひとつかふたつ、これぞという記事があればヒットのうちなんだろうと思う。しかし、記事が出るたびに「切り口が甘い」「事実と違う」「テーマが陳腐」なんて記事と同じ舞台でコメントされ、コメント欄でその記事を話題にした議論が起きたら、時間を追って充実するコメント欄に比べて記事の練りの甘さが際立ってきて、ついには記者自身の信用を失ってしまう。
僕はジャーナリズムがblogを筆頭にしたネットのツールによって取って代わられるとは思っていない。
足を使わない、現場に行かない、人に会わない情報なんて全部二次情報だ。二次情報は一次情報を分析することはできるが、一次情報そのものを作り出すことはできない。
一次情報を得るには手間とコストが必要だ。それを担保できるのはやはり新聞、ラジオ、テレビ、雑誌などの旧来のマスメディアだ。
(ほりえもんがインターネットジャーナリズムに金を払うと思ったら甘すぎるぞ)
旧来のマスメディアで、成長のために許されてきた「甘い記事」も、blogでは成長する前に、ヒットを作る前に批判されてしまう。それはかなり過酷な環境だ。
記者はよほど才能がないと、記事をまとめることもできない。
これはあらゆるプロに言うことができる。弁護士も医師もIT業者も、自分の分野のことをエントリして、もしその記事に問題があったら、あっというまに集中砲火を浴びてしまう。
blogは、うまく使えばその双方向性によって記事を補完したり再検証したりすることができる。
もしblogを使って記事を組んでいくなら…
記事を組んでいく経過をblogにエントリしていくのが必要だろう。コメンテーターの言葉やトラックバックによる情報の集中・分散によってより重層的な記事を組んでいくことができるだろう。
できあがった記事をblogに載せることはむしろバカバカしいことになるだろう。
佐々木さんがコメント出しはったみたいですよ。
何か実のある話になるといいのですが。
こう言っては失礼ですが、あの方のblogは取り立てて言うほどのものでは無かったと思っています。
記事の内容も切り口も甘かったと思う。
同じ材料でも料理の仕方によって鮮やかな側面を見せられるのですが、正直、イマイチでした。
これがいい機会だと思うんですよね。
この処理の仕方次第で、化けると思います。