さお君は2002年のクオリアのoff会で初めて会ったんだと思う。クオリアのMLでは彼の書いたものは無さそうなので、掲示板の方で多少は知っていたかもしれない。(すでにlogはない)
こうしたoffでは参加者の事前情報をある程度持っていることが多く、経験的にオンラインでの好悪の印象と実際の印象とほぼ同等と言えるが、さお君のことをどんな人だと思って相対したか、もう覚えていない。
しかし、次のoffでの印象は鮮烈だった。
始めに参加者全員が自己紹介を一通りすることになっていたんだけれど、彼は掲示板やMLで話題になっていたことに対して自分の問題意識を話した。
僕ら参加者は皆黙ってしまった。
皆シーンとしてしまったことに彼は驚いて「そんな黙らないで何か言って欲しいんですけど」と言ったけれど、僕らが黙ったのは呆れたわけでも怒り出したわけでもない。
今はもう彼がどんなことを言ったのかすっかり忘れてしまったのだけれど、僕らは感想を言うどころじゃなく、頭の中で彼の言葉を吟味するのに一生懸命だったんだ。
(カントについて言ったような気がしてきた。昔の哲学とされるものをきちんと検証もしないで昔のものとして切り捨ててはいないか、というような切り口だったような気がするが、もっとずっと含蓄のなる言葉だった)
今、彼は東大の大学院でインド哲学を研究している。
このプロフィールだけで「わはははは」と笑いながらホームランを打つ番忠太が脳内に浮かぶネタみたいなプロフィールなのだが、ホントなのでやっぱりここは笑うところなんだと思う。
実際の彼は気さくな擦れたところの無い現代の青年だ。
僕は影では「場末のゲイバーのママ」と呼んでいる。タバコを吸いながら「私も昔はいろいろあったのよ」って酔客に自慢話をしている脳内キャラクターができあがっている。今からでも遅くないのでぜひゲイ修行に励んでもらいたいのだが、残念ながらそれは敵わぬ夢のようだ。今の彼は哲学修行で手一杯のようだから。
僕が彼と親しくなったのは瞑想修行に行った時だった。
僕は誰にもそこへ行くとは相談していなかったし、誰かが参加しているなんて思ってもみなかったのに、全く偶然にそこで彼と再会したのだった。修行の間は誰とも口をきかないので、彼と話すことはなかったのだが、なんだか不思議な縁を感じた。
今、彼のblogは、僕の特別気に入っているblogの一つだ。
ToDoのようなメモに毛の生えたような日記や、評論家気取りの癖に思いついたことを書き散らしているだけのもの、軽い読み物、軽いお笑い、あるいは冗長で更新の無いもの …(すまん自分のことはとりあえず棚の上)ばかりの中で、彼のblogは読むべきものだと思う。
モギケンの日記は、QualiaMLに参加し、彼と付き合いだしてからも、あるのは知っていたが読んでいなかった。しかし、あらためて読んでみるとそれまで読んでいなかったことにずいぶん損をしたような気がしたものだ。
今、モギケンはたいそう忙しいようで以前のような深い思索の中をたゆたうような心地よい記事は少なくなっているように思う。
もしモギケンの日記が気に入った人がいたら、さお君のblogはきっと気に入るだろうと思う。
さお君は有名人ではないけれど、彼の書くものは滋味に溢れている。是非読んでおくべきだ。
だからさお君、修行中だからって更新をしないなんて言わずに、語ってほしいな。
えー、で、僕のblogの更新が遅いと不満に思ってる方がいたら、さお君の所へ行ってみてください。ほんでnomaddaemonが更新されてないがどうしてくれるんだと、さお君に言ってやってください。
TBありがとうございますm(_ _)m
過分の褒め言葉をいただいて、少し恐縮しています。
頑張らないとなー。
あのオフの時に言ったのは、私も詳しくは忘れましたが、
仮想と現実、ということに関して、「自分のファンタジー
を探すこと」を語ったような覚えがあります。
その時にも、皆が黙っている中で、nomadさんが最初に
「いまいいこと言ったね」と言って下さったのが
印象的でした。