若者は勘違い

僕は大槻ケンヂが好きで若者が好きで、若者が勘違いしている場面が好き。

Splendid in three days: 緑に染めて、黒に戻す
世の中皆つまんなくて、バカばっかで、はやくこんなとこ出て行きたい。でもこんなとこでも適応できない自分って何?友情だって結局上手くいかないし。あんなヤツのどこがいいの?軽くて、みんなとおんなじヤツより、自分の好きなことやってるあの人のほうがカッコイイのに正当に評価されないのはどうして?その人の相手はどうしてあんなヒトなの?あー!うまくいかない!ってな映画。

僕らの間に友情なんて無かったとか、好きなアイツはやっぱり自分が他人と違うことに苦しんでいたとか、本当は他人と自分なんてそんなに違っていなかったとか、後ろを振り返るとそんなふうに思えることがあります。
オジサンはそういうことを知ってはいますが、しかしオジサンは思うのです。 ……


僕たちは、若いっていうだけで冒険のさなかにいるんだってことを思います。
先のことは何も見えず、乗り合わせてる連中との付き合いだって浅く、信頼できるかどうかなんてわからない。
自分自身の経験も無く、夜空に星は光っているけど星の見方なんてわからない。
船はどちらに走っているのかわからないまま、ともかく漕がなくてはいけないみたいだ。
オジサンはやっと星の見方もわかってはきたけれど、この船がどこに行き着くのかはやっぱりはっきり決まってるわけじゃないんです。オジサンなりにトラブルは突然やってくるものだって知っているから。
そんな時に若い船乗りだった時のことを思い出して、甘酸っぱい思いを抱きながら、ひたすら漕げよ、と声援を送るのです。
届かぬと知りながら。
若者はそうやっていくつもの嵐を超え、無我夢中で船にしがみついているのだとばかり思っているうちにいつしか星の見方も船の進め方もわかってくるでしょう。
今は不安を抱えたままでいいから、船にしがみつき、傷つきながら、漕ぐがいいよ。
僕らの船の行き先は、勘違いから始まりますから。

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