「ねえ、このボーリングでトトカルチョ作ったんですよ。書いてくださいよー」
「あ、んじゃ俺、自分に賭けるね。そらもぉ本気出しちゃうかんね」
「あ、そう来ましたか。僕はちょっと自信ないなー。誰か強そうな人に賭けよ。
…あ、そうか、僕が間違ってその人に勝ちそうになったら手ェ抜けますね」
「オイ、コラ、そんなこんで手ェ抜くなんて言うんじゃねえよ。ボーリングの勝ち負けくらいで、オメエ、1000円2000円が惜しいのかよ。金賭けてるんじゃねえ。器賭けてるんだ。」
「ねえ、このボーリングでトトカルチョ作ったんですよ。書いてくださいよー」
「あ、んじゃ俺、自分に賭けるね。そらもぉ本気出しちゃうかんね」
「あ、そう来ましたか。僕はちょっと自信ないなー。誰か強そうな人に賭けよ。
…あ、そうか、僕が間違ってその人に勝ちそうになったら手ェ抜けますね」
「オイ、コラ、そんなこんで手ェ抜くなんて言うんじゃねえよ。ボーリングの勝ち負けくらいで、オメエ、1000円2000円が惜しいのかよ。金賭けてるんじゃねえ。器賭けてるんだ。」
そーいうヤツはぬっ殺しましょう。
まあ説教はしますた。
「1000円2000円でお前は人生を天秤にかけるのか。男の甲斐性をお前は1000円2000円で売るのか」と。
まさかトトカルチョで人生を語られるとは思ってなかった若い衆も吃驚だったでしょうが、コーヒーに砂糖を入れるのはいつか、フレッシュを入れるのは砂糖の前か後かで「お前は物事の仕組みと言うものをまず知らんといかん」と半日説教されるのを思えばまだまだ。靴を右から履くか、ハンカチはどっちのポケットに入れるかあるいは持たないか、など、どんな些細な事柄でも男の生き様は語れるのです。
いや、そらあうっとぉしいいぃ