僕がハヤブサを選んだのは僕なりの理由があるが、そんなに面白い話じゃないと思う。
バイクを選ぶのなんか、好き嫌いであって、そういうことは各々勝手に決めれば良い。
今、世間で売っているバイクで「悪いバイク」なんてない。どれにもそれなりに意味があるし、きちんと走るし、選んだ人が納得さえしていれば損なんてないだろう。スクーターだろうがハーレーだろうがバンビーンOCR1000だろうが思ったように買って思ったように乗ればいい。そのバイクについて僕がいいということはあってもダメなんてことは言わない。(言うが)
バイクを選択するのは感傷である。
バイクに乗ることが感傷なのだから。
僕は’85年にGSX-R750を買ったとき、目からウロコが落ちるくらい素晴らしいバイクだと思った。今でもお金さえあれば持っていたいと思う。
その後、’89年にGSX-R1100を買ったときも素晴らしいバイクだと感激した。
そのブサイクなスタイル、がさつな造りも気に入った。
例えば僕はホンダのできの良さは認めるが、ホンダイズムが製品で主張するのは気に入らない。
僕の買った最初のバイクがホンダGL400Wingだし、限定解除のきっかけとなったのもホンダVF750Fだった。弟はホンダの朝霞研究所に勤めていたこともあるし、ホンダの耕運機のCMやロボットが地下鉄の出口から出てくるCMを見て涙目になるくらいだから、そういうホンダイズムそのものが嫌いなわけじゃないが、ただ「もう僕が乗るバイクじゃない」と思うのだ。良くできているために、いつまでたってもホンダの所有物のままのような。
ホンダの呪縛から逃れられないっていうか。気のせいだが。
いや、「ホンダ大好き!ホンダじゃなきゃ乗らないね!」 なんて人が多いのが気に入らないだけかもしれない。まあいい、どっちにしろ「ホンダは好きだが多分もう乗らない」っていうだけだ。
ヤマハのスタイリングもいいのはわかってる。SDRも乗ってたし、R1なんて見惚れるくらいステキだ。でも、それを僕が乗るのか?って言ったらやっぱり乗らない。しゃらくせぇよ。 バイクなんだぜ?
カワサキは… がさつだよなあ。 でも、なんちゅうか「男カワサキ伝説」が汗臭すぎて引いてしまう。ホントに「男」なのか?そういう伝説にすがりたいだけじゃないのか?
僕自身は自分の男性性を信じきってはいないし、そういうジェンダーを信じきっている人を滑稽だと感じる。そういう伝説を意味無く信じ込んで、自分じゃろくすっぽ整備もできないくせに、流行にあわせて湯水のようにカスタムに注ぎ込んでるのっておかしくないか? と思う。Z250FTに乗ってたことはあるんだけどね。
そんなわけで、僕が乗るのはスズキのGSX-R1000 か、GSX1300R Hayabusaと決まってしまった。
GSX-R1000が良いのはよーく分かっていた。カッコはガイガンみたいだが、ブサイクなのはいつものことだ。それよりもやはり本気の軽さと小ささがなによりスゲエ。世界で一番コストパフォーマンスが高い、いいバイクだ。夢みたいに素晴らしいバイクだ。うっとりする。
それでも迷った。
良すぎるんだ。
世界で一番いいバイクは世界中の人が乗っていた。
そして多分、世界で一番のバイクはやがて2番になってしまう。来年か再来年には。
(それはやはり現実になった)
その時悔しくならないだろうか。僕はなると思った。
世界で一番という冠を意識して買ったからにはずっと世界で一番であり続けていて欲しいと思うだろう。
次々と買い換えたり改造したりしていけばいいのかも知れないが、そんなお金はないし、僕は愛着を感じて所有するタイプなんだ。
今まで自分のバイクが型落ちした時にがっかりしたことはなかったが、GSX-R1000を所有したら、きっとそんなふうに感じる予感がした。
そんなことは全く理不尽な言いがかりなんだけど。
ハヤブサは出た時からブサイクだと思っていた。R1000と比べたら見劣りする。
けれど、ヤツにはターボというオプションがあった。
何年か前のバイカーズステーションという雑誌に、スウェーデンのMC-Xpressというターボキットをつけたハヤブサの記事が載っていたことを覚えていた。
実はそれ以前にCBR1100XXにターボをつけて「XXXブラックバード」とのネーミングで出したキットもあった。ところが僕はブラックバードはずっと気に入らない嫌いなバイクで、そんなバイクにターボなんぞつけてしゃらくせえと思っていただけに、ザマミロ、勝ったぜ、と理不尽な感想を持った強い印象があったのだ。
なんと言っても328psだ。しかも後輪出力でだ。
バカみたいだ。めちゃくちゃだ。
僕はあるoffの寄せ書きで「328ps」と書いた。圧倒的過ぎてバカバカしいもの、ふざけたものの象徴として。そのバカげたものの近くに僕がいるんだという意味だったかもしれない。
書いたときにはスゲーバカだよね、程度のつもりで憧れでしかなかったのだけど、一度文字にして紙に書いてしまった時から、僕は呪縛されてしまったみたいだ。
女房に「多分、これで最後のバイクになると思うんだ。かなり無茶だけど買ってもいいかな?」と言い出すのに何ヶ月もかからなかった。
粛々と読ませてもらいました。
のまdがなぜ、ブログを立ち上げて、書きたかったのか、なんとなくわかってきました。
君の場合、文書にした方が伝わるモノ、というのが多いのかもしれないです。というのも、親しく歓談する仲なのに、本当に伝わらなければならないものが、今まで私に伝わっていなかったのではないか、とこれを読んでそのような率直な感想を持ったという事実は、私なりにちょっとショックです。
300万円、それも奥さんに働いてもらっての捻出、
ってことで、よくもまあ奥さんが納得したもんだと思ってましたが、ここの内容を読んで、そりゃのまd愛して
いる人なら、納得するだろうな、と思いましたものね。
いずれにせよ、バイクに関するこだわりようは、我々
、仲間内では、さもありなんで、納得すること至極当然
という感じです。モノは変れど、たぶん同じような論法
で話は推移しそうなんで、苦笑してしまいますたぁ。
「伝わってる」っていうか「その人のことを知っている、理解している」っていうのは思いこまないように私はしています。
自分に人を見る目がないっちゅうことと、多分「その瞬間のその一面」しか誰にも見えないだろうから。
それはその本人にも一面しか見えてないわけで、ショックを感じなくてもダイジョブです。
例えば僕の書いたこの一連の文章がシリアスに見えたとしてもそれもやっぱり一面なんですよ。
見方によっては「ヘコタレ中年男のあがき」「をぢさまご乱心」そのもので、距離をおけば滑稽にしか見えない。そういう滑稽さも自覚しつつ、の人生なわけで、だからなんとかヘコタレ流されショボクレつつ維持してるってわけです。
そういうシリアスな面を友達に見せるか?見せて楽しいか?なんか役に立つのか?って言ったらそんなもん、つまんないやり方だと僕は思ってて、自分自身のためにもならないんで。だって友達といるときは楽しくしたいじゃん。
僕が書いたこの文章はシリアスな部分もあって、という「部分」を見せるのがたまたま相応しいと思ったから書いたことなんで、また笑える話も書いていきますとも。