2002年、俺は41歳だった。厄年ってやつだ。
その時、俺は本当にヘコタレていた。
俺は自分の取り組んでいた仕事で苦境に立っていた。それは2000年に東京に転勤してきて以来の大きな仕事で、始まった時には俺ははりきっていたし、それなりにできると思っていた。自分の技術や持っているエネルギーに自信を持っていた。
しかし、仕事がはまり始めると、それが何の裏づけも無い勘違いだったことに気づかされた。
プロジェクトがどうしようもなくまずい状態になった時も、俺はなすすべがなかった。技術も采配の能力も発揮される事は無く、俺のエネルギーは枯渇していった。
結局、その仕事には助け舟が現れて、会社の体面は保つことができたが、俺自身については自信を取り戻すことはできなかった。なんとか立ち直ったプロジェクトを前にしても俺は呆然としているしかなかった。俺自身を信じる事ができなくなっていたからだ。
プロジェクトの責任者としてではなく、作業員として泥沼仕事のマシン室の中でコネクタのピンアサインを確認しているとき、焦点が定まらないことに気づいた衝撃は大きかった。俺もいよいよ老眼になったらしい。
俺の人生はあっという間に折り返し地点に来てしまったのだ。もうこれからスポーツで体を鍛えて全日本の大会に出ることなんかできやしないだろう。今までだって出たことはないが、自分の一生の中で、そんな大会に出られる経験など決して来ることは無くなってしまった。若者には戻れないのだ。これからは下り坂なのだ。
俺は今まで何を重ねてきたんだろう?
俺はこの先何ができるんだろう?
俺は東京に転勤してきたときにバイクを売ってきてしまったことを後悔した。
3年間! 俺の一生の中での3年間じゃない。「バイクに乗れる時間」のうちの3年間を無駄にしてしまったのだ。
俺はあと何年バイクに乗れるんだ? このままジジイになったら否応無くバイクから降りなきゃいけない日が来る。その時間は有限なんだ。しかも、一日一日と、俺がバイクを操る能力は下がっていくのだ。
今ならまだ間に合う。まだうまくなれる。世界GPは無理にしても草レースにだったら出られるだろう。ウィリーも膝擦りもスライド走法もできるようになるかもしれない。
俺は天気の良いある休日、女房が運転する車に乗っていた。近所のデパートに買い物に出かけたのだ。
俺たちの車の横をきれいな青白のGSX1400が追いぬいていった。明るい日差しの中でライダーの背中はみるみるうちに小さくなった。
俺は車の窓をあけてその背中に叫んだ。
「バイクに乗りたいよう! バイクに乗らなくちゃ死んじゃうよう!」
女房は呆れていた。
俺はまたバイクに乗ることに決めた。
バイクに乗ろうと決心することで立ち直った訳じゃない。いくらなんでもそんなに簡単な話じゃあない。立ち直るまでにはいろいろあった。(そのいろいろについてはそのうち書くだろう)
今だって本当に立ち直っているのか怪しいものだ。あれは人生の転回点だったのだから、以前と変わってしまったのは当然だ。
だが、本当に心の底からバイクに乗らなくちゃいけないと考えたきっかけはコテンパンにのされた厄年のあの時にあったということだ。
俺は浜松でGSX-R1100に乗っていた。いいバイクだった。
あんまりいいバイクだったんで2台も持っていた。’89年のやつと’90年のやつだ。
USDのフロントフォークが着いた’90の方に’89の短いスイングアームを自分でバフで磨いてつけていた。
怒涛の低速トルクと騒々しいメカノイズ、がっちりした車体、華奢な冷却フィンとブサイクなカウリング。アクセルを開ければ暴力的な加速、メーター読みで300km/hの最高速。「ワタクシ程度の者に何の不満がございましょう」というほど何もかも気に入っていた。
もう一度それに乗ってもいいが、どうせ乗るなら「生まれ変わったような」ヤツに乗りたいと思った。
俺がこれからバイクに乗る理由は、昔の延長じゃなくって、もう一度やり直すためなんだから。